旦那という生き物。

旦那が嫌い!イライラする!むかつく!という妻たちに。夫婦喧嘩や育児・子育てのイライラした気持ちが解消されるよう旦那目線で語ります。

恋愛とは何か?恋愛できないのは欠陥人間!こんな風潮ってどうなの?

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大人が若者に話かけるときや、若者同士が話すときに「彼氏、彼女、旦那、妻がいるかどうか」は、常に共通の話題とされるところです。

それは、人間は「つがい」が「単位=基本」であり、それがいちばんの関心事だと思っている人が多いからです。

 そこでは、恋人がいない人は、自分は寂しい人間と見られるんじゃないかと思って、恥ずかしくなりがちです。

あなたも、恋愛していないと寂しいし、モテないのは恥ずかしいことだと思っていませんか?

今回は「恋愛とは何か?」ということを考えながら、「恋愛できないのは負け犬!」という、この世の中の風潮に意見を述べたいと思います。

恋愛できないのは欠陥人間であるかのようなこの風潮

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パートナーがいないということで、自分は誰からも必要とされていない、愛される価値のないダメな人間、欠陥人間なんじゃないかと思う人が多いわけです。

つまり、恋愛というものが人間によって不可欠だと思われている社会になっているように思います。恋愛しないといけないという圧迫があるのではないでしょうか。

そして、恋愛観自体は、依然として従来の発想が続いているようです。

寂しい、人は弱い、支えて欲しい。だから結婚したい、守ってほしい、依存したい。

これが恋愛したいと思う気持ちの奥底にあるんですよね。

恋愛とは排他的な要素が強い

恋愛とは、いったん「関係」を作ったら、他の人を好きになってはダメ(二者排他的)で、継続するのがいいこと。

そこには「誠実であらねばならない」「向かい合わねばならない」というような「約束」「契約」があり、関係を大事にしないと「裏切り」「冷たい」「いいかげん」になるというような暗黙のルールがあります。

「裏切られた方」は「裏切った方」を攻撃したり嫉妬したりするのは当然の「権利」があると多くの人が思っていたりします。

そして二者排他性を基準に、関係を「続ける」か「終える」かの二者択一の選択肢しかないと思っています。

また、恋愛すれば、性別特性に見合った役割が自然と行われるべきだとされています。

つまり、恋愛すれば相手に合わせなくてはいけない、プレゼントしたり、デートをしなくてはいけない。男は女に優しくしなくてはいけない。

さらに、いくらセックスの自由化が進んだといっても、「愛している」からセックスするというつながりを信じている人がほとんどです。

恋人じゃないけどセックスするとか、他の人ともセックスするがあなたともセックスするとか、愛していないがセックスするなどと言うと、ほぼ間違いなく非難されます。

セックスは愛情や人格が結びついていないとダメだという観念が根強くあるのです。

そして、このような恋愛の「上がり」が結婚。

結婚に至る恋愛は成功した恋愛であり、すばらしいものだと考えられています。

愛と恋愛と結婚とセックスと人格の五者は、いまだ一体のものとしてとらえられているのです。

正しい恋愛観って何なの?

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このような恋愛観は、本当に正しいのでしょうか?それしかないのでしょうか?

恋愛は理屈じゃないと言って、あまり考えずに、みんなが同じようなパターンにはまっているように感じます。

ですからここでは、少し深く考えてみます。

そもそも、誰かと誰かが「愛する、恋愛する、結婚する」というとき、それが「ひとりだけを愛する」「二者に閉じている」とはどういうことなのでしょうか。

つまり「パートナー以外の人を好きになったり、パートナー以外の人とセックスしたりしてはいけない」というような「私たちは一体・運命共同体・特別の対関係という単位的考え」は、なにを無意識のうちに前提とし、なにをもたらすんでしょうか。

通常は、いちばん好きな人だけを愛するのはいいことだとして、それが当たり前の世の中ですが、でも、本当にそれが自明の真理なんでしょうか。

ナンバーワンだけを大事にする恋愛

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僕は、この問題を「いちばん好きな人=ナンバーワン」と「それ以外(ナンバーツー以下)」に対する意識の差として考えていきたいと思います。

男と女は違っていて、その二人がカップルになる、つまり恋愛する、結婚することが自然だと考えている多くの人は、男らしさ、女らしさの意識をベースに恋愛を考えています。

そして、そういう発想を持った男性は、ナンバーワンの女性だけを大切にし、その人を自分の一部としてし「所有・保護」するのが愛だと考えます。

つまり、ナンバーワンだけを愛する感情とは、言い切ってしまえばこういうことになります。

「自分および自分の所有物」を愛しているにすぎない。

そしてこのように考えます。

「ナンバーワンの女性は自分の所有物だから、自分の思い通りにしてもいいのだ。他の奴が奪うのは許さない」

この結果、愛が行き過ぎ、干渉や依存という現象が起こるのです。

さらに、男女の役割にとらわれている恋愛観なので、男というものはリーダーシップをとらないといけない、女性を養わなくてはいけない、などと考えます。

そして、これができないと、「自分は男としてダメだ」とも考えます。

次に、女らしさを大事だと考えている女性においては、その裏返しで、男に「ナンバーワンの位置に選ばれた女」になることが大事なことであり、そのように選ばれることこそが、愛だと信じ込むことになります。

つまり「誰からに属している女性」にだけ「愛という幸せ」があると考えるのです。

女性は、愛に生きることが自分の存在証明であり、社会からもそれが女性の正しい生き方とされています。

男に欲望され、男に定義されてこそ、女である私のアイデンティティが成立し、安心するのです。

そして男性と同じく、その恋愛観としては二者に閉じていて、相手の自由を制限して、嫉妬して当然だと考えます。

「私だけを一生愛して。他の人を愛するのは許さない」となるのです。

ナンバーワン以外に対しては

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さて、そのような恋愛は、ナンバーワン以外(恋人外、婚姻外)に対しては、どうなるのでしょうか。

それは、男としては「ナンバーワン以外」とは、自分でないものであり、ナンバーワンほど大事にしなくていい、守らなくてもいいもの、ということになります。

すなわち、そうした「自分でない=他者=単位外」との交流には、愛も尊敬も敬意も、ナンバーワンほどには必要ないということです。

「ナンバーワン」と「ナンバーワン以外の人」に差をつけることが当然となるわけです。

そして、そのナンバーワンでない人との性は、ただの遊び、快楽としてのセックス、裏切りのセックス、正しくないセックス、レベルの低いセックス、動物的でダメなセックス、とみなされます。

ナンバーワンでない人との性は、愛や尊厳を売り渡した行為と決めつけられ、「ナンバーワンとだけセックスするべきと考える正しい人たち」は、「正しくない人たち」を見下しています。

このことは、特にこのような恋愛観が強い女性から見れば、ナンバーワンに選ばれなかった「女=私」はダメであり、幸せではないという自己否定感となります。

ナンバーワンに選ばれなかったことは、関係が特別でも本物でもなかった、その瞬間の感情や快楽はウソだった、意味なかったということであり、「選ばれなかった」のにセックスしたことは、使い捨てにされ、遊ばれたことであり、ダメな女になってしまったことになります。

恋愛の8要素

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以上のように、恋愛とは、ナンバーワンを選び、その人と一体となり、その人だけを大事にする行為だとして考えてきましたが、そもそも、人は何をもって人を好きになるのでしょうか。

つまり人に序列をつけて、ナンバーワンとナンバーツーを決めている、その基準は何なんでしょうか。

それを考えるための「恋愛の八要素」というものがありますので、ここでご紹介したいと思います。

知的要素

話をしていてどれぐらい楽しいか、いわるゆ性格がどれぐらい合うかという要素です。

性的要素

顔、体つき、声、しぐさ、雰囲気、匂い、ファッション、および性行為の相性など、セクシャルな魅力の程度です。

なじみ要素

その人といてほっとする感覚がどのくらいあるかです。

地位達成要素

その人のパートナーとなることで、自分の社会的地位がどれぐらい上がるかです。

生活便利要素

その人のパートナーとなることで自分の生活上どれくらいメリットがあるかです。

恋愛ゲーム要素

その恋愛がどれくらいゲームとして興奮できるかというこです。妨害があるとか、駆け引きが難しいほど、その恋愛は魅力的に見えます。

支配欲求要素

相手を支配できる喜びがどれくらいあるかです。

スピリチュアル要素

その人と〈たましい〉でつながる感覚がどれぐらいあるかです。

これらの8つの要素にどれぐらいの比重を置くかは人によって違いますが、これらの要素の総合得点が高い人を恋愛対象として、人は人のことを好きになるのです。

恋愛とは何か?

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恋愛とは何かに答えるとするならば、それは、人を比較し順番をつけて、いちばん自分を幸せにしてくれる相手を選び、好きになる行為であり、双方でそれがナンバーワンになれば、相互作用を楽しむ行為であると言えます。

自分が幸せになるために、幸せを感じるために、好きになるという感情を楽しみ、その人を話したり、顔を見つめたり、一緒に食事をしたりするのです。

恋愛する目的は、養ってもらえて、楽な生活ができるから、その人を好きになっているのかもしれませんし、料理をしてくれて、自分は仕事に集中できるから、その人を求めているのかもしれません。

または、休日の時間つぶし、カップルでいけるお店に行ける、恋人向けのイベントに参加できるなどのために、付き合っているのかもしれません。

つまり、恋愛とは、その人とカップルになることで、いろいろな利益(快楽・便利)があるということです。

つまり恋愛とは、自分自身のための行為であるといっても過言ではないのです。

決してそれが悪いと言っていはいません。自己利益のために人は生きています。恋愛も例外ではないということです。

また、二人が一体になるということは、「自分および所有物」を愛しているにすぎないとも言えます。

パートナーがキレイであったり、出世したりすることを喜ぶのは、すばらしい利他的な愛のように見えますが、主として自分のための行為のはずです。

このように言うと「恋愛はとても素敵なものなのに、恋愛を冒涜している」「寂しい意見」とか言われそうですが、僕だって、恋愛はスピリチュアルな要素もあると思いますし、すばらしい関係ももちろんあると思っています。

でも、ここまで述べてきた「恋愛とは何か」についてのいろいろな考えは、恋愛を冷静かつ客観的に見た結果です。

恋愛にはそう言える側面があるという話です。

だってこれを実証するように、人格的にひどい人でも恋愛しているでしょう?

性格が悪いのにモテる人もいるでしょう?

逆に、いい人なのにモテない人もいるでしょう?

この世のみんながいつも恋愛をしているわけではありません。恋愛や結婚はしていないけれども、充実して生きている人はいっぱいいます。

恋愛できないからって何が悪いわけ?

このように考えていくと、少し楽になりませんか?

僕たちは恋愛や結婚にとらわれすぎている面があります。

俗っぽく言えば、人が人を好きになるとき、ただ顔がいいとか胸が大きいとか、あのときの笑顔が良かったとか、面白いことを言うとか、社長の息子だとか、料理がうまいとか、そんなことで好きになることっていっぱいありますよね。

自分が好きになるのも、その程度の心の動きだし、それが相思相愛になるのは、ただの偶然だということです。

そのことがわかっていれば、恋愛(その延長としての結婚)という物語に過剰に吞み込まれることは少なくなると思います。

モテなくても、結婚していなくても、それが自分の存在意義の全否定には決してならないんです。

恋愛が得意な人、モテる人が人間的にすばらしいというわけではないですからね。

恋愛できないからって何も卑屈になることはないんです。恋愛できることが偉いわけでも何でもありません。

恋愛できないからって悩んでいる人はそのことは忘れないでくださいね!

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