良妻賢母という言葉ご存知ですか?
良妻賢母とは、簡単にいうと、旦那には良い妻であり、子供に対しては賢い母であるということ。
少し前の時代までは女性は「良妻賢母であるべき」という考えが当たり前の世の中でした。
今回はこの「良妻賢母」という言葉から、女性の生き方や生真面目さについて少しお話したいと思います。
結婚してからも「自分らしさ」を保つためにはどうすればいいんでしょうか?
良妻賢母の解説
良妻賢母とは、女子の本来の任務は家を整え、子を産み、子を育てることにあるとする思想に基づいた婦人の理想像を表わした言葉です。
つまり、よき妻であり賢い母であることが婦人の理想とされ、このような女性を育てることが教育の目標とされてきた時代があったのです。
この語は明治初期から用いられはじめたものですが,その背景には、儒教の男尊女卑想があり、この思想のもとで女子には知的教養は不必要かつ有害とされ、同時に女子の社会活動が著しく制限されていました。
維新以後男女同権思想が移入されながらも、ほとんど定着せず、良妻賢母を理想像として掲げ、男子に比べて著しく低い、技芸にかたよった教育が高騰女子学校を中心として実施されていました。
この「良妻賢母」という考え方が、明治以後、第二次大戦終了まで日本の女子教育の基本理念だったのです。
結婚すると自分らしさがなくなる?
話は少し変わりますが、結婚した途端に「妻」でしかなくなる、「母」でしかなくなるといった極端なことは起こらないはずです。
でも結婚した数年が経ち、ふと振り返ったとき、そんな気持ちにとらわれてしまうのも事実です。
誰でも「自分らしさ」を手放したくはありませんし、役割にとらわれない感性や、心の自由もなくしたくはありません。誰も、望んで「自分らしさ」を手放しているわけではないとは思うのですが。
どうして結婚生活が長くなってくると「自分らしさ」が失われてくるんでしょうか?
自分らしさを失う原因はどこに
「自分らしさを失う」原因はどこにあるんでしょうか。
「改姓」を例に取って考えてみます。誕生以来数十年間、当然のように名乗っていた親の姓を、結婚と同時にほとんどの女性が、さしたる疑問も持たずに、男性側の姓に変えます。
姓による一体感と、それにともなう家庭観は決して否定しきれるものではありませんが、「結婚する前は彼と同じ姓を名乗ることへの憧れが強かったけれど、いざ改姓してみると。。」という女性が多いのも、また事実なのです。
通称姓の使用も、法的手続きや身分の証明のややこしさなどを考えると、決して良いことだけではありません。
姓なんて「たかが呼び名」であると割り切ってしまえればいいですが、深く考えずに「みんなそうしているから」といった気持ちで受け入れてしまうところから、安易な「自分らしさの放棄」が始まっているのかもしれません。
過去、父権や家意識の強かった時代には、そのような「女三界に家無し」的な潔さが美徳とされ、世間の通例におとなしく従う女性は「良妻」、自己主張の強い女性は「悪妻」とされていましたから、プレッシャーが強い分、反発する女性は本気で反発していたでしょう。
むしろ現代女性の方が、そういった激しさを失ってしまっているかのようです。
つまり、一目で悪妻予備軍とわかる女性が少数派になって、一見すると良妻、でも、実は悪妻たる自覚が今のところない、という女性が増えてきただけ、ということです。
結婚当初は「改姓」に同意しても、後になってもやもやしたものを抱えるというのは、その典型的なパターンではないでしょうか。
良妻賢母幻想の功罪
多くの女性たちは、「良妻賢母」という言葉に代表されるように、結婚したら良い妻、良い母にならなければならない、という強い気持ちを抱いています。
女性にとって「良妻賢母」という言葉は未だに死語ではなく、変わらぬ憧れなのです。
その証拠に「食費を抑えて賢く貯蓄」「ママ同士の人間関係を円滑にする方法」「栄養バランスの良い食事で家族の健康管理」といった見出しが、主婦向け雑誌には踊っています。
女性というのは本当に何と健気で、生真面目なのでしょうか。
「昼食代を節約して妻にプレゼントを」「近所のパパと親しくして、子供の関係良化に努める」などと、雑誌の知恵を借りて、積極的に良夫賢父になろうとする男性は本当に少数派です。
将来的に、専業主夫が大多数をしめる時代が来たとしても、彼らは「人は人、自分は自分」と、それぞれの裁量で家事や育児、地域のコミュニケーションに参加し、出来ることをやり、できないことはやらないに違いありません。
男性とは「何もそこまで無理をして優等生になることはない」と考える生き物なのです。
だからこそ「安月給のやりくり」「公園コミュニケーション」などに頭を悩ませている妻を見て、「何もそこまでしなくても」と思う旦那が大半なのです。
「家族のために、こんなに一生懸命頑張っているのに」と考えるのは妻だけで、ほとんどの旦那は「押し付けがましくされるくらいなら、そこまで頑張ってくれなくてもいい」とさえ、考えているのです。
しかし、男性はこの辺りの考え方を改め、生真面目に家族のために生きる良妻賢母な妻のことをもっと認めてあげなくてはいけません。
「女性の生真面目さ」が国を底辺から支えてきた、という考え方は間違ってはいないと思います。
すべての女性が合理視点のみで生きるようになればなったで、きっとそれは潤いに欠けた社会になってしまうのでしょうね。
良妻賢母であろうとする女性が夫源病になりやすい
ところで妻には、夫源病になりやすいタイプというものがあります。
それは良妻賢母であろうという女性。
次の項目に当てはまるものが多い人は、特に注意が必要です。
- 我慢強くて弱音を吐かない
- 几帳面で責任感が強く、仕事や家事に手を抜けない
- 感情を表に出すのが苦手で、人前で泣いたり怒ったりできない
- 人に意見するのが苦手で、理不尽なことを言われても反論できない
- 「いい妻」「いい母親」でありたいという意識が強い
- 外づらや世間体が気になる
- 細かいことをくよくよと気に病む性格だ
これらのタイプの方は、ストレスを抱え込んでしまいがちです。いわゆる良妻賢母タイプの妻は、「これぐらいは我慢しなければ」「旦那に従うのが妻としてあたりまえ」といった思いから、旦那に対する不満をみずから否定して、知らず知らずのうちに大きなストレスを貯め込んでしまいます。
ストレスの多い現代社会で、常に良妻賢母を演じるのは楽ではありません。旦那も「これくらいなら許してくれるだろう」と調子に乗って、どんどんわがままになり、妻に甘えてしまいます。
「良妻賢母」はあくまで一般的な理想像です。
ときには「悪妻愚母」を演じて、旦那や子供に緊張感や危機感を与えることも必要かもしれませんよ。
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